「蟲師」考を読んで

まあ別刷りをもらったんで、
まったくの私信みたいなもんです。


論文を一通り読ませてもらってふと感じたのは、
蟲というものは狂気を具現化したものではないかと。
自然の中に偏在する時には野性と呼ばれるのかもしれないが、
それに中てられることで、人間の中で狂気として発芽する。
そこでミソなのは、種自身は人間の中にあるということ。
おそらく「生命の、より原始的な側面」こそ狂気であり、
同根の外部刺激=蟲によって顕現するのではないか。
それを「直感的に感じ取っている」ギンコ(とおそらく淡幽も)は、
狂気を身の内に持ちつつ、「受け入れて」いる。
狂気は受け入れることによってしか、
抑える(正確には共存する)ことができない。
そのことを自覚的にであれ無自覚的にであれ知らず、
蟲を排除しようとする者たちは、
実は自らの中に巣食う蟲=狂気に気づいていないのではないか。


ううむ、ちょっと深読みすぎかもしらん。
脈絡もないし論立てとしても怪しいものがあるけれど、
なんとなく考えたことを書いてみたよ。
引っ越しはすんだかな、そっちでも元気でね。


ついしん。
行った途端フェリーなくなるとは・・・ご愁傷さまでござる。